向羽黒山城跡の魅力

  • 蘆名家紋
  • 伊達家紋
  • 蒲生家紋
  • 上杉家家紋
画像:向羽黒山城跡

向羽黒山城のオリジナル小説

向羽黒山城は無敵の山城です。
なぜなら、一度も合戦の舞台になっていません。
たしかに、戦国末期の関ケ原直前の「会津征伐」の際に、重要な防衛拠点のひとつではありました。
しかし、合戦の舞台になっていない。
だから、血沸き肉踊り、戦国ファン、歴史ファンを引き付ける「ものがたり」がありません。泣く。

しかし、この巨大な山城にも風雲急を告げる「ものがたり」があったはずです。
その「ものがたり」を新進気鋭の歴史作家である天野佳之先生にお願いして、三篇のオリジナル小説に仕上げました。

新たな「向羽黒山城ものがたり」をご照覧あれ。

  • 向羽黒山城ものがたり①『築城に込められた想い -蘆名盛氏-』

    「日本最大級の山城」が特別連作小説に!

    冒頭を紹介します。

     川の瀬に、可憐な紫が揺れている。
     前に垂れた三枚の大きな花弁と、その内で誇らしげに立つ小花弁。都合六枚の花びらを持つその花が、快晴の空の下で群れて咲くさまを、蘆名盛氏はじっと見つめた。
     会津盆地を貫いて流れる大川(阿賀川)の川辺は、雨季を謳歌するように、瑞々しい草花に彩られている。それが、盛氏の心を落ち着かせた。
     何しろ、会津は四方を峻険な山に囲まれ、そこから流れ出た水が集まる土地である。なかでも大川は暴れ川として知られ、五月雨の季節ともなれば、いつ洪水を起こすか分からない。土地を治める為政者にとって、雨季の川辺の彩りは大川が穏やかな証でもあった。
     もっとも、大川がもたらすのは災害だけではない。その清らかな水と、山から運ぶ肥沃な土、そして遥か越後までつながる交易路として、会津に豊かさを支えていると、盛氏は重々承知していた。
    (何事にも、表裏があるということだ)
     内心でひとりごち、盛氏は川の涼味と花の香りを胸に吸い込んだ。
     永禄三年(一五六〇)五月、陸奥国大沼郡。会津の領主である蘆名盛氏は、大川の川縁に座り込み、夏を味わっていた。

    以下はこちらからどうぞ。

  • 向羽黒山城ものがたり②『黒脛巾 -伊達政宗と蒲生氏郷-』

    「日本最大級の山城」で伊達と蒲生の忍びが…

    冒頭を紹介します。

     夜闇のなかに、ぼんやりと雪の白が浮かぶ。一面の積雪は、松明の灯りに照らされて、ほんのりと朱に染まっていた。
     それをかき分けるように城道を進む吉六は、いい加減うんざりしはじめていた。雪など、彼の故郷である近江国日野では、真冬に数日降るかどうか。積もりはするが、これほどの量ではないし、歩く妨げになるほどでもなかった。
     会津は、雪深い土地である。霜月の末ともなれば、山はもちろん、開けた平野までもたっぷりと降る雪に埋まる。
    (降り過ぎじゃ)
     内心で愚痴りながら、吉六は手槍を杖代わりに、松明を掲げて夜に目を凝らす。
     会津の南、向羽黒山城。三重の曲輪と二千とも言われる屋形を備えた、奥州一の堅城である。密に張り巡らされた土塁と防柵が山肌を覆い、雪に覆われたさまは、さながら山が白糸縅の鎧を纏ったようでさえあった。
     そのなかにあって、東の尾根は山本来の地形が多く残る。すぐ下には暴れ川として名高い大川(阿賀川)が迫るだけでなく、峻険な断崖が高く切り立っており、天然の要害となっているからである。その先の曲輪には、築城以前から鎮座する弁天社があり、城の鎮守として大切に祀られていた。

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  • 向羽黒山城ものがたり③『会津征伐 -直江兼続と前田慶次郎-』

    直江兼続と傾奇者が日本最大級の山城で…

    冒頭を紹介します。

    『六韜』に曰く、「凡そ兵の道は一に過ぎたる莫し。一は道に階り、神に幾し」という。一意専心して他に惑わず、以て自在であればこそ、変化不測の神妙に近づける、との謂いである。
     まさに、上杉家中のためにあるような言葉だと、直江山城守兼続は思う。家中をそう変えたのは、いまは亡き先代の謙信公であり、それが故に、上杉の武名は天下に轟くほどに高まったと言えた。
     主のことながら、当代の景勝はその影法師に徹していると、兼続は思う。最早この世にはいないはずの謙信の影を求める者たちの、理想の器。そうなることを、景勝自身が望んでいたのはまちがいない。だからこそ景勝は、内府・徳川家康のやり方に否を唱えた。
    「人道、災無ければ、先ず謀るべからず」。これもまた、『六韜』の教えである。豊臣の政が人民に災いとなっているわけではないにもかかわらず、兵を謀るのは天道にもとる。このうえ、まるで天下人のように上杉を下に扱うというならば、是非もなかった。
     もはや、戦は避け得ない。避ける向きの者は、家中から召し放っている。その者たちの言い分も含んだうえで、景勝は立っている。

    以下はこちらからどうぞ。

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