
信長の野望における蘆名家
蘆名家は、16代当主、盛氏の代に最大版図を迎える。石高は約120万石を越え、会津や新潟方面にまで勢力を伸ばし、武田信玄にも認められる戦国大名となった。
しかし、コーエーテクモゲームスの人気シミュレーションゲーム「信長の野望・新生」での蘆名家の待遇はまだまだ低い。これだけの版図を築きながら、平均50の能力以下の武将がわんさか。この能力で、この版図は築けません。歴代を経て、能力値の見直しはされてはいますが、もう少しキラ星のごとき、全国区の武将が増えて欲しいと願うばかりです。
盛氏だって、上杉謙信を左において、一歩も引かない領国経営。御館の乱では、安田を落とすなど、上杉勢を切り崩しています。鬼の佐竹義重も撃退していますし、そのすぐれた統率力、手足となって動く武将の能力も高いと思います。
蘆名家を織田家に接近させて、中央に乗り込む外交手腕を持ち、「会津の執権」と称された金上盛備は、伊達家の片倉小十郎と五分を実力があるのではないでしょうか? また、「北の門番」として、伊達家を何度もけちょんけちょんした、穴澤俊光も伊達成実に匹敵する実力があると思うんですが・・・
コーエーテクモゲームスさん、どうか次回作では能力値の見直しを!
蘆名盛興 あしな もりおき (1547-1575)
- 統率:62
- 武勇:53
- 知略:40
- 政治:54
蘆名家17代当主。盛氏の嫡男。父の隠居により家督を継ぐが、佐竹家との抗争中に夭折した。盛興の病を治すために、父が領内での造酒を禁じたこともある。
『蘆名四天』
平田舜範 ひらた きよのり (1519-1583)
- 統率:42
- 武勇:44
- 知略:49
- 政治:48
蘆名家臣。輔範の子。平田家は、蘆名四天*の宿老の一人。是亦斎と称す。大槻城主、大槻政通が謀反を起こした際、主君・盛氏に従って出陣し、鎮定した。
佐瀬種常 さぜ たねつね (1515-1589)
- 統率:45
- 武勇:52
- 知略:51
- 政治:68
蘆名家臣。佐瀬家は、蘆名四天*の宿老の一人。耶麻郡中田付で六斎市を開いていたが、中田付では不便だとして、小田付村に六斎市を移した。摺上原合戦で戦死。
松本氏輔 まつもと うじすけ (1525-1575)
- 統率:46
- 武勇:52
- 知略:48
- 政治:54
蘆名家臣。舜輔の子。松本家は、蘆名四天*の宿老の一人。図書助と称し、船岡城主を務めた。1575年田村清顕の軍と安積郡福原で戦った際に戦死。
富田氏実 とみた うじざね (1541-1591)
- 統率:29
- 武勇:36
- 知略:45
- 政治:72
蘆名家臣。四天*の宿老の一人。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を後継に推すが敗れた。摺上原合戦では、留守役を務め、主力の敗北後、伊達家に降る。
『蘆名四天について』
だいたい、四天王とよばれるが、蘆名家は、あえて「四天」としているところが、かっこいいが、実力は平均50と雑魚レベル。コーエーさん、これでは「四天」は名乗れませんわ。
歴史は勝者の記録。四天にまつわるエピソードも薄い。しかし、戦国の時代に上杉や伊達、佐竹に囲まれながら、版図を広げた武将にも光をぜひあててほしい!
『会津の執権』
金上盛備 かながみ もりはる (1527-1589)
- 統率:53
- 武勇:55
- 知略:59
- 政治:72
蘆名家臣。主君・盛隆の死後、伊達政宗の弟・小次郎を跡継ぎに押す一派を抑え、佐竹義重の次男・義広を当主に迎えることに成功した。摺上原合戦で戦死。
時代小説大賞2017受賞作!「会津執権の栄誉」のモデルとなった武将。
会津にも全国クラスの軍師と呼ぶにふさわしい武将がいたことを教えてくれるストーリーです。最期が稀代の軍師、山本勘助に似ている。
『蘆名が誇る二本の槍』
富田隆実 とみた たかざね (1569-1594)
- 統率:61
- 武勇:76
- 知略:32
- 政治:27
蘆名家臣。氏実の子。摺上原合戦では先鋒を務め、伊達軍の本陣に迫るなど奮戦した。敗北後は、主君・盛重に従い常陸に逃れるが、間もなく盛重の元を去った。
摺上原の劣勢の中、片倉小十郎、伊達成実を相手に回して互角以上の戦いぶり、武力は80後半でも良いくらい。しかも、戦死することなく、蘆名家の最期を見届けてから、舞台を去るカッコよさ。前田慶次と会わせてみたかった。
「北の門番」
穴澤俊光 あなざわ としみつ (1531-1585)
- 統率:74
- 武勇:78
- 知略:66
- 政治:53
蘆名家臣。伊達家の度重なる侵攻を撃退し続け、「北の門番」と恐れられた。伊達政宗の調略により、内応していた一族の奇襲を受け、自害した。
蘆名家最強武将。伊達の侵攻を何度も退ける。武力ではなく、身内の調略から暗殺するしかなかった。彼も武力は80後半であってほしい。





